夢/幻/現:No.ERROR
著者:月夜見幾望


「はあ……。一応あの瑠璃ちゃんって子と話はできたけど、あの感じじゃ、どうにもならなさそうだったわね……」

 茜が暗い表情でつぶやく。
 瑠璃と面会した翌日の日曜日───。青磁と茜は、具体的な対策───今後、瑠璃とどのように接していくか、について話し合うため、僕の家に集まることになった。ちなみに、東雲さんと紺青さんは誘っていない。休日は家に両親がいて広いリビングが使えないからというのもあるけど、一番の理由は昨日の瑠璃とのやり取りだった。
 統合失調症の瑠璃は、僕たちとは少し異なる現実を体験している。だから、話が多少噛みあわないことを承知の上で、面会を試みたんだけど……これが、思った以上に大変でさ。
 僕たちと彼女の『現実の溝』とも言うべきか───が、想像以上に深くて、その……一方的に敵意を向けられたと言うか……激しく拒絶されてしまったんだ。それで、東雲さんも紺青さんもショックを受けたみたいで。表面上は普通に振る舞っていたんだけど、やっぱり同じ女の子である茜には二人の感情の機微が分かったらしく、今日は誘わない方がいいと助言してくれた。

「さて、いつまでもぐずぐずしていられないし、もう一度問題点を確認しておくと───」

 『暗記マスター』『歩く百科事典』の二つ名を持つ茜は、瑠璃の主治医から彼女が統合失調症患者であると聞かされた時、自分のデータベース内からその具体的な症状、発症原因、過去の有名な事例、有効な対策等の情報を一通り“検索”していたらしい。それによると、医師はあの時語ってはいなかったが、統合失調症の中でも『妄想型』───つまり、瑠璃の症状とは主に幻聴が中心を占めており、幻覚(幻視)は非常に稀なケースだと言う。
 とある外国映画で、実際に統合失調症を物語の軸に置いた作品がある。映画を鑑賞する人に統合失調症がどのような病気なのかを分かりやすく知ってもらうため、やや誇張された描写が多く取り入れられているらしいが、専門家たちからは『これほど明瞭な幻視体験は稀であり、統合失調症に対する誤解を招く恐れがある』という意見も出されている。
 茜の指摘した問題点とは、『では瑠璃の場合、幻覚の強さはどの程度のものなのか?』ということだが……これが予想していた以上に深刻だった。

「俺たちも、自分が作り上げた『幻覚』だと思われているみたいだからな……。あの子の過去に何があったのかは知らないけど、“奴ら”に対する憎悪の念は、ありゃ、ちょっと尋常じゃないぞ……。視線だけで殺されるかと思ったぜ」

 いつも物事には楽観的な考えを持っている青磁でも、今回ばかりは難しい表情を見せている。

「そうだね……。せめて瑠璃が自分の病気のことを少しでも自覚していれば、まだなんとかなったかもしれないけど……」

 彼女の表情は、死者蘇生を企む連中が本当に実在すると信じて疑っていない様子だった。
 ───なぜ瑠璃は、そこまで“奴ら”の存在を頑なに信じているのか、また、そうする必要があるのか。
 僕は、昨日の出来事、その中でも主に医師の言葉を手がかりに考えてみる。彼女の幻覚を破るためには、彼女自身がそれにしがみ付いている理由(ワケ)を理解しないことには到底不可能に思えたからだ。
 まず、医師は、『悪事に手を染めた悪い組織を作り上げることで、過去の不幸な出来事をすべてそいつらのせいにしているのだろう』と語っていた。瑠璃は幼い頃に妹を亡くし、その後会社の倒産が原因で両親が仲違いした挙句、膨大な借金を返済できなくなった父親が自殺……。それらで蓄積した負の感情を“奴ら”に擦り付けることで、なんとか自我を保っていられたのだとしたら、そう簡単に幻覚を取り除いてしまうのは危険だ。下手に『奴ら』の存在を彼女の中から消し去ってしまうと、拠り所がなくなった負の感情を制御できず、今まで以上におかしくなってしまうかもしれないし、それに……あまり考えたくないが、最悪の場合、自殺を図ろうとするかもしれない。
 そうなったら、元も子もない。彼女を救う目的でこうして頭を悩ませているのに、それが逆効果になってしまう可能性も充分にあるのだ。
 やがて、僕と同じ考えにたどり着いたらしい茜が、ぽつり、と呟いた。

「難しいわね……。これは慎重に事を運ばないと、取り返しのつかない事態になるかもしれない。ただ幻覚を消せばいい、というだけじゃなく、代わりに“心の糧”となるもの、“生きる力”となるものを、『正しい現実』に見出せるかどうか、が重要なポイントになると思うわ」
「俺も似たような意見だが……お前らとは、ちょっと考え方が違うかな」
「? どういう風に?」
「医者の言葉をよく思い返してみろ。あの瑠璃って子は、『自分が死者蘇生を企む組織に利用されている、と考えているらしい』と言っていただろ? つまり、自分で作った幻覚に逆に取り込まれそうになっているんだと思う。いや、幻覚って元からそういうものなのかもしれないが……あの子の場合、それがあまりにも違和感なく現実と溶け合っていると言うか、過去の出来事の延長線上に位置していると言うか……うまく言えねえけど、とにかくあの子は“奴ら”を幻覚だと認識していない。現在、自分の置かれている状況も含めて、すべてが『正しい現実』だと思い込んでしまっている。だから、俺たちが『それは幻覚で、誤った現実だ』と諭したとしても、そこから既に食い違いが生じてしまっているんだから、昨日みたいに目の敵にされるのが落ちだと思うぜ」

 青磁の意見は、まさに瑠璃の状態を的確に表しているだろう。
 死者蘇生を企む組織と、彼らに利用されるだけの操り人形と化してしまいそうな自分。───それは普通の日常とはかけ離れた、狂った現実に違いない。毎日が神経を消耗する日々。永遠に続くようにさえ感じられる、希望も見出せない物語。それが、彼女が置かれている状況だった。

「───いや、まだだ」
「桔梗……?」

 希望も見出せない物語だと? ふざけるな!
 なに一つ罪のない彼女が、どうしてそんな目に遭わなければならない!? “奴ら”に怯えて震える日々を過ごさなければならない!?
 何より、そんな先の見えない真っ暗な物語が、僕は一番嫌いだ。彼女自身がその暗闇から抜け出せないのであれば、僕がその物語を変えてやる。
 ───途中がどんなに暗くたって、最後は笑顔溢れるハッピーエンドの物語に。
 なにかあるはずだ。予め敷かれた、ふざけた道筋(プロット)を崩す、選択肢が。
 思い出せ。昨日、瑠璃と交わした会話を。彼女の言葉を。



   *   *   *   *   *



「瑠璃の幻覚を打ち破るために───みんな、力を貸してくれ!」

 その言葉にみんなが頷いてくれた。
 本来なら、これは僕と瑠璃の二人だけの問題だ。彼女のことを夢でずっと追いかけて、どうしようもなく気になって、ついにはこの場所まで来てしまった。従兄妹同士という関係を抜きにしても、彼女を夢で一目見たときから放っておけなかったんだ。そんな僕の勝手な我儘に、みんなを付き合わせるのは間違っている。
 けど、僕一人だけでは彼女を助けることはできない……。そんな弱気なことを立ち向かう前から決めつけるなんて、自分でも情けないと思う。
 紫苑先輩がよく言うように、僕は確かに“ヘタレ”だ。主人公には向いてないし、自分でも、そんな人間になりたいと思ったことなんて一度もない。でも、瑠璃を助けるのに、そんな理屈を考える必要がどこにある?
 ───困っている人を助けたい。それが僕だ。それ以外で、あれこれ悩む必要なんてどこにもないじゃないか。

「ま、桔梗が頼りないのは分かり切っていることだし、協力してあげてもいいわよ。ただし、これは桔梗から頼まれたからじゃなくて、私自身の意志で、だからね。そこんとこは勘違いしないように」

 茜なりに『私たちに余計な気を遣うな』と言ってくれているんだろう。

「うん。ありがとう、茜」
「ふ、ふんっ!」

 ぷいっ、とそっぽを向く。そんな素直じゃない茜の態度に苦笑しつつ、青磁が口を開く。

「で、具体的にはどうする? このまま、みんなで病室に入っても大丈夫なのか?」
「桔梗先輩はともかく、私たちは部外者ですし……いきなり大人数で押しかけて迷惑にならないでしょうか……」
「『今日は一段と精神が不安定みたいだ』とお医者さんも言ってたし、まずは赤朽葉先輩一人で瑠璃ちゃんと会ったほうがいいと思います」
「うん、そうするよ。みんなは病室の外で待っててもらえるかな。瑠璃の体調が良さそうだったら、呼ぶからさ」

 従兄妹とは言え、実際に顔を合わせるのは今回が初めてだ。僕は、人見知りしない方がけど、初対面の人と言葉を交わすのはやっぱり少し緊張する。
 病室の前で二、三度深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、扉をゆっくりと開けた。
 
 瑠璃の病室は思っていたよりも簡素な部屋だった。部屋が広い割に、物が少ないからそう見えるのかもしれない。落ち着いた白い壁と、同じく白色のカーテン。テレビや本など、暇を潰せるものは見当たらない。窓に近い場所に大きめのベッドがあり、その脇には小さな椅子が置かれている。ベッドのシーツもやはり清潔な白色で、彼女の黒髪は、その中で唯一色彩を放っていた。
 ───綺麗な子だな。
 彼女を一目見て、僕はそう思った。『清楚』あるいは『淑女』という言葉が一番しっくりくるかもしれない。
 病衣に包まれた細い体。腰まで届くストレートな黒髪。どこか幼さを残しながらも、くっきりと整った顔立ち。少し物憂げな表情が、今にも消えてしまいそうな儚い花を連想させた。
 ベッドの上で上体を起こした姿勢のまま、彼女は顔だけこちらに向けた。

「……誰?」

 彼女の唇から言葉が発せられる。それは、警戒の色を伴いながらも、心が安らぐような柔らかな響きだった。たったそれだけで、子供の頃の彼女がどんなに良いお姉ちゃんだったのか、どれほど妹を大切に想っていたのかを推測することができた。
 ずきり、と心が痛む。葬式の席に顔を出さず、ずっと自室に閉じこもっていた瑠璃。あの時の彼女が、どんなに辛い思いをしていたのか───その胸が裂けるような悲しみを想像するだけで僕まで苦しくなる。しかも、その感情が、少なからず彼女の幻覚を構成する要素となっているなんて……あまりに酷過ぎる。
 僕は、彼女の瞳を見据えたまま、投げかけられた問いに答えた。

「驚かしてごめん。僕は赤朽葉桔梗。君の従兄だよ」
「赤朽葉……」

 瑠璃は記憶を探るように視線を上方に移した。

「うん。従兄と言っても、お互い会うのは今日が初めてだけどね。本当は一度だけ君の家を訪れたことがあるんだけど」
「あ、もしかして真衣の葬式の時……?」

 当時のことを思い出したのか、彼女は急に目を伏せた。

「───あの時はごめんなさい……。顔も出さないで……」
「いや、謝ることはないって。こっちこそ、辛いことを思い出させちゃってごめん……」

 それから彼女は、ふと気付いたように、椅子を示した。

「あ、立ったままじゃ疲れるでしょうから、どうぞ座ってください。えーっと、赤朽葉…さん」

 その他人行儀な呼び方に僕は苦笑しつつ、

「従兄妹同士なんだから、もっと気軽に呼び合おうよ。僕も、瑠璃って呼ぶことにするから」
「え? は、はい。そうですね……。じゃあ、桔梗…さん?」
「うーん、瑠璃がそう呼びたいならそれでもいいけど……」

 『さん』だと、なんか距離感を感じるのは僕だけ?

「僕の友達や先輩は基本呼び捨てだし、瑠璃が嫌じゃなかったら別にそっちでも構わないよ?」
「あ、あの、それじゃあ……」

 瑠璃は少し頬を染めながら、

「その……失礼でなければ、『桔梗お兄ちゃん』と呼んでもいいですか?」
「…………」

 不意打ちを喰らって、思考が一瞬停止する。
 ……え〜っと、彼女は今『桔梗お兄ちゃん』って言ったんだよね? 
 続柄的にはそれでもいいのだろうけど、予想していなかっただけに、心臓がばくばくと速くなる。だ、だって、顔を赤らめながら『桔梗お兄ちゃん』だよ? や、僕はそういう趣味はないけど、でも、ほら、多少意識してしまうのは仕方ない……よね?
 もはや正常な思考能力を失ってパニクっている僕に、瑠璃はさらに追い打ちをかけてくる。

「だめ……かな?」
「いや、全然! むしろ嬉しいよ!」

 言い終わってから、しまった! と気付いたが、時すでに遅し。
 何、変態発言してんだ、僕のばかあああああ!!!!
 『むしろ嬉しいよ』って、思いっきり、そういう趣味持ってますって自白しているようなもんじゃないかっ!! あぁ……、もう一刻も早くこの場から逃げたい……。
 気持ちのベクトルが反転しかけた時、瑠璃が口を開いた。

「───でも桔梗お兄ちゃんは、どうして突然ここへ……?」

 核心を突く質問に、僕は一転して表情を引き締める。
 さて、どう答えたものか……。瑠璃の統合失調症については、ついさっき医師から聞いたばかりで具体的なことは分からないし、まさにこの瞬間、彼女が幻覚を見ている可能性も否定できない。下手に切り出すのは止めたほうがいいか……。
 あれこれ考えた末、僕はそもそもの始まりから話すことにした。

「瑠璃のことを夢で見たから……かな」
「え?」

 キョトンとする瑠璃。
 やっぱり、信じてはもらえないだろうなあ、と内心で思いつつも、僕は話を続ける。
 何度も、何度も繰り返し再生される誰かの物語。その女の子は、いつも孤独で苦しそうで、見えない何かに必死に抵抗しているようだった。もがいて、あがいて、なんとか振り切ろうとするも、結局、最後は振り出しに戻されてしまう。
 今考えると、彼女は無意識に助けを求めていたんじゃないかな。ループを繰り返す出口のない物語に疲れ果て、自力ではどうすることもできないと悟ったから。

「おせっかいだとは思うけど、僕は困っている人を放っておけない性格でね。友達の協力を得て、この病院を突き止めたんだ」
「じゃあ、その人たちも今ここに……?」
「うん。この外で待たせているんだけど、呼んでも平気かな?」
「あ、うん。いいけど……」

 こくり、と頷いてはくれたけど、やっぱり少し緊張しているようだった。まあ、相手がどんな人か分からないと不安だよね。

「大丈夫。少し一癖、二癖あるけど、みんな、明るくて信頼の置ける良い奴らばかりだからさ。絶対、瑠璃とも仲良くなれると思うよ」

 一旦、病室を出ると、みんなは何やら熱心に議論している最中だった。

「あ、桔梗。瑠璃ちゃんの様子はどうだった?」
「話した感じだと、今のところ幻覚症状は出てないと思う。至って普通の女の子だったよ。───ところで、茜たちは何をそんなに熱く語っていたの?」

 なんとなく嫌な予感を覚えながらも尋ねると、茜は『よくぞ聞いてくれました!』と言わんばかりに胸を張った。

「瑠璃ちゃんと会ったときに言う自己紹介を考えていたのよ。『桔梗の友達の○○です』じゃ、月並みすぎてインパクト薄いし、私たち一人一人の個性も出しにくいじゃない。相手に自分のことをきちんと覚えてもらうためには、やっぱり初めの一言が肝心だと思うのよ」

 茜の意見に、うんうん! と激しく頷いている紺青さん。逆に、青磁と東雲さんは、あまり乗り気じゃない様子。『こいつらの暴走を止めてくれ……』と内なる心の叫びが、ありありと表情に反映されている。

「……お願いだから、あまり変なことは言わないようにしてね?」

 さっきの変態発言を瑠璃は気にしていないようだったけど、これ以上妙なことを口走るとマジで変人集団だと思われかねない。念のため、もう一度二人に釘をさしてから、病室に入ったのだが……。

「───出てけっ!!」

 瑠璃の鋭い叫び声に、びくっ、とその場で足を止める。
 彼女は、“何もない壁の一点”を鬼のような形相で睨みつけていた。すべての怒りをぶちまけるような怒鳴り声。瞳は充血し、底冷えするような殺気を隠そうともしない彼女は、まさに狂気そのものだった。

「瑠璃……?」

 激昂して周りが見えなくなっていた彼女は、それでようやく僕たちに気付いた。

「───何しに来たの? 邪魔しないで」

 数分前とは異なり、相手を奈落の底に突き落とすかのような声。そのあまりの豹変ぶりに思わず言葉を失う。瑠璃は、射抜くような視線をこちらに向けたまま、さらに冷たく言い放つ。

「もう一度言うわ。早く失せて。これは、奴らと私だけの問題なの」
「瑠璃。それは……」
「幻覚だとでも言うつもり? はっ、桔梗お兄ちゃんも、あの医者と同じことを言うんだね。私のことなんて大して知らないくせに。夢で見た? 何それ、ふざけないで」

 容赦のない罵倒が、途切れることなく彼女の口から浴びせられる。

「“奴ら”も、彼らの“研究”も実在しているの。私自身これまで散々付き合わされてきたし、現に今も目の前にいる。それを、『幻覚』の一言で片づけるお前らのほうが、私には理解できない。仮に、私の見ているものが『幻覚』なら、お前らも私の作り出した『幻覚』ってことでしょ?」
「違う! 僕たちはちゃんと……」
「うっさい!! 知った風な口をきくな、偽善者!! 私は……私は、おかしくなんかない。狂っているのは、全部現実のほうだ。昔は家族仲良く普通に暮らしていたのに、どうして、こんな風になってしまったの……。もう嫌だよ…………助けてよ…………」

 最後は今にも消え入りそうな、弱々しい声だった。瞳から溢れる涙を抑えきれず、彼女は短い嗚咽を漏らす。か細い体を震わせながら、みんな消えろ、と願うようにきつく目を閉じる。その痛々しさに、見ているこっちが胸を締め付けられた。

「出てって。お願い……」



   *   *   *   *   *



「……梗。………おい、桔梗!」
「え?」

 気付くと、青磁と茜が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。二人の背後には咽び泣く少女の姿はなく、代わりに見慣れた勉強机と通学鞄が置かれている。どうやら、僕は深く回想に入り浸ってしまっていたらしい。

「え? じゃ、ねえよ。お前、すげえ思い詰めた表情で黙りこんでたからさ。らしくない、と言うか、お前までおかしくなったのかと心配になったぞ」

 お前までおかしくなった……?

「───それだ」
「へ?」
「瑠璃を助ける方法さ。青磁も言ってただろ? 彼女は“奴ら”を幻覚だと認識していない。自分の置かれている状況も含めて、すべてが『正しい現実』だと思い込んでしまっているって。確かに、僕たちからすれば、それは『間違った現実』だ。死者蘇生の研究も、それを企む組織も、彼女自身が作り上げた『本来存在しないもの』という認識を持っている。けど、それは僕たちが、“彼女の物語”に入りこめていないが故に生じる矛盾でもある。瑠璃を救うには、まず彼女と同じ認識を持つ必要があると思うんだ」
「それってつまり……私たちも、“奴ら”が『実在する』と考えなくてはならないってこと?」
「うん。瑠璃の幻覚を破る突破口は、それしかないと思う。彼女の物語に入って、“奴ら”と対決する」
「ちょ、ちょっと待てって! “奴ら”と対決するって言っても、俺らには知覚できないんだぜ? 見えない相手に喧嘩売るってどういう理屈だよ。それじゃあ、ただ道化を演じているだけじゃねえか」

 青磁の言うことはもっともだ。幻覚相手に立ち向かうって、どんな茶番だよ、と笑われるのがオチだろう。でも上手くいけば……今度こそ、瑠璃を助け出すことができるはず。そのためには、“奴ら”と対決するための準備が必要だ。

「二人とも僕の指示通り動いてほしい。次に瑠璃が“奴ら”の研究施設に向かう時、決着をつける」





 数日後、僕は再び瑠璃の病室を訪れた。
 容体は安定しているようだったが、目が真っ赤に腫れている。ベッドのシーツに少し付いた染みも、瑠璃がついさっきまで泣いていたことを物語っていた。

「……あ…桔梗…お兄ちゃん……」
「…………ッ」

 なんで、そんな悲しそうな目をするんだよ。もう生きる力も残ってないような、今にも死にそうな顔でさ。どうして……どうして、こんな状態になるまで誰も助けてやらなかったんだ。
 答えは分かっている。最初は、瑠璃もだれかに助けを求めたはずだ。しかし、その度に『そんなものは存在しない』『君は精神が不安定みたいだね』と否定され、拒絶され、相手にしてもらえず、その行為が無駄だと悟った彼女は助けを求めるのを諦めたんだ。必死の叫びがだれかに届くことはなく、彼女はずっと一人で“奴ら”と戦い続けてきた。辛くて、苦しくて、自分が壊れそうになっても、結局そうするしかなかったんだ。
 ぎり、と歯ぎしりする。
 胸の内側から怒りにも似た感情が込み上げてくる。その感情の対象が、彼女なのか、“奴ら”なのか、それとも、これまで彼女の叫びを無視してきた人たちなのかは分からない。けど、これだけは強く思った。
 ───もう二度と彼女の泣く姿は見たくない、と。

「……瑠璃、一つだけ教えてほしいことがある」
「……なに?」
「“奴ら”の研究が行われている場所って、どこなんだ」
「え? 『招き館』という古びた洋館の地下だけど……で、でも、そんなこと聞いてどうするつもりなの?」
「───“奴ら”を叩き潰す」

 そう宣言して、僕は病室を後にした。今から、やらなければならないことがたくさんあるからだ。
 待ってろよ。絶対に助け出してやるから。



投稿小説の目次に戻る